2010年02月16日

知らない人の為に・・・だから 人々は橋を望みました・・

紫雲丸事故、悲しみ今も
知らない人の為に・・・だから 人々は橋を望みました・・
引き揚げ作業が行われる紫雲丸(1955年7月)

 1955年5月11日朝、高松市沖で起きた紫雲丸沈没事故では、霧の中、高松を出港した直後の旧国鉄連絡船「紫雲丸」と、宇野から高松へ向かっていた同「第三宇高丸」が衝突、168人が犠牲になった。

 高知市立南海中3年の修学旅行で事故に遭い、同級生ら28人を失った光内聖賢(せいけん)さん(68)は「航路がなくなっても、同級生たちの悲しい思い出は消さないようにしたい。廃止前にもう一度、乗ってあげなければいけない」と話した。

 1950年から宇高連絡船に乗務し、事故で救助にあたった治多(はるた)次郎さん(82)(香川県多度津町)は毎年、事故の起きた日には船に乗って現場に花を手向けてきた。「航路が廃止されると、事故の記憶がますます風化してしまう。船が汽笛を鳴らしながら行き交う景色は瀬戸内の風物詩。人々の悲喜こもごもが詰まった航路だけに残念でならない」と語った。
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自分が生まれる前に
こんな大惨事が 高松港の沖合いで、ありました

だから 多くの人々が 橋を望みました。


知らない人の為に・・・記事を探してみました。

橋を望んだ理由は安易ではないのです。

だから・・・あの記事について

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2月13日付・宇高航路の終幕(四国新聞 一日一言)


 百年前の1910(明治43)年6月12日、高松市では祝賀会が開催され、銀行が午後から休業するなど祝賀気分が全市にみなぎっていたという。宇高航路はそんな中で開設された(国鉄四国支社「宇高航路50年史」)。

 不景気もあって期待されたほど利用客はいなかった。それでも本州と四国の鉄道を結ぶ航路の誕生は、人々に新時代の到来を感じさせていたに違いない。事実、大正期に景気が持ち直すと、「異常な混雑」を示すようになった。

 国鉄の独占的航路で民間企業が定期運航を始めたのは、高度経済成長期のこと。増便し大型化すれば、それだけ利用客が増えた。宇高航路は時代と一体化していた。

 時代の変化に翻弄(ほんろう)されることになるのも、そんな航路の宿命か。22年前、瀬戸大橋の開通とともに連絡船が廃止された。そして今また「千円高速」などの影響で、民間2社が撤退を決めた。歴史ある航路は節目の年に消えることとなった。

 瀬戸大橋の開通を望んだのは、通行料金の値下げを期待したのは誰だったか。時代はそれに応じ、航路をのみ込んだだけだ。ろくに利用してもいない立場で廃止を惜しむのは、感傷にすぎないと言われても仕方がない。

 それでも恐れずにはいられない。交通手段の多様性を失うことは、地域の懐を浅くし衰退させるのではないだろうか。瀬戸内海が遠のき、香川のアイデンティティーが失われていくのではないか―。次の時代への恐れを抱えたまま、一つの時代が幕を下ろす。(G)

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100年の歴史の重さを再認識しないといけませんね~
自分も いろいろと調べたりしないと・・・

だから 地位のある人の望んだ人のせい のような書き込みは 納得できないのです。





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